柴田vsハレックはもう何回もビデオで見ました

──電撃現役復帰発表の真意をお聞きする前にですね、まずは、ハレック・グレイシーと対戦した柴田勝頼選手の試合についてお話をうかがいたのですが。
船木 大会が終わり家に帰ってから、もう何回もビデオで見ました。柴田は最初、すごく良かったんですよ。カウンターでパンチを合わせて、ちょっとグラつかせて。その後ですよね、「当てなきゃ! 当てなきゃ!」という気持ちがはやってしまった。ハレック選手は、体全体を使って、頭を下げて、逃げる人間の行き場をなくすかのように柴田をロープ際に追いつめていった。追いつめ方がすごくうまいなと思いましたね。柴田は組み付かれてから、ハレック選手の頭を(アゴの下に)入れさせてしまったんです。それで、柴田の体が伸びてしまった。それだと力が入らないんで、柴田にはどっちかの手で(脇を)差してほしかった。そして、外掛けで倒された時も、倒された瞬間にマウントを取られてしまったので、もうちょっと冷静になっていれば、倒れた時にガードポジション、もしくはハーフガードを取れたはずなんです。それもできなかった。マウントからの脱出も、両足で引っかけてという返し方をしていましたけど、もう2つ、3つ、違う脱出の方法を練習したんです。それも出せなかった。以上の反省点が見つかりましたね。
──柴田選手は今後、その反省点を修正していくと。
船木 そうですね。一連の流れの中で、やってはいけなかった動き、やらなければいけなかった動きが何個かありましたからね、そのへんを練習してきます。
──試合後、柴田選手はどんな様子でしたか?
船木 「なによりも、腕十字を取られて、その痛みに耐えられなくてタップしてしまったというのが恥ずかしい」と言っていましたね。
──船木選手からは柴田選手にどんな言葉を掛けられたんですか?
船木 「負けたことはもう仕方がないんで、どこが悪かったかというのを探して練習するだけだよ」と言いました。腕を取られてタップしたことが悔しいならば、もう二度と腕を取られなければいいわけですから。「どうすれば腕を取られなくなるのかというのを、頑張って一緒に練習していこう」と言いました。


桜庭、田村の姿を見ていて、悔しかった

──さて、7・16HERO'S横浜アリーナ大会で、現役復帰を宣言しました。今の心境から教えてください。
船木 リングに上がった時、意外と自分を知らない人が多かったのが「現実だなぁ……」と思いましたね(笑)。だから、自分で自己紹介をしたんです(笑)。そういう意味では、一から試合をして、自分の家族とかファンに分かってもらうしかないです。
──17日の一夜明け会見では、復帰に至った動機として、桜庭選手や田村選手の活躍というのを挙げていらっしゃいました。
船木 年代で言えば、自分は彼らと同年代なんですけど、この業界のキャリアで言えば、自分のほうが先輩なんです。だけど、先輩だからといって、「同年代の選手が頑張っているのに、自分だけ解説をやっていていいのかなぁ……?」と思ったんです、単純に。なんでかというと、自分、まだ体が動くんです。体は動くし、柴田と一緒に練習ができている。それができないくらいの故障箇所があれば、普通に解説席に座っていたと思うんですけど、全然ピンピンしているのに「こんなことしていていいのかなぁ……?」と感じていました。目の前で桜庭選手が殴られたり、田村選手が足を蹴られて足を引きずりながらリングを降りていく。その姿を見ていて、なんか悔しかったですよ。「自分も力を出す場が欲しい」と。そういう感覚で決断しました。
──現役復帰は谷川貞治FEG代表からのオファーがあってのことではないと聞いています。最初に「出たいです」と言った時の谷川代表の反応はいかがでしたか?
船木 ビックリしていましたね。3年前くらいですかね、何回か冗談交じりに「秋山選手とやってください!」と言われたことはあったんです。で、今年の5月、『Dynamite!! USA』に出発する前に、「ホイス選手とやってください」って言われたんですよ(笑)。もしかしたら、田村選手の代わりに自分を出そうとしたんですかね、ダメもとで(笑)。
──なんて答えたんですか?(笑)。
船木 「ちょ……、ちょっと待ってください!」と(笑)。「い、いきなり言われても……」って言ったら、「そうですよねぇ〜(笑)」って(笑)。まあ、それも冗談だったと思うんですけど、谷川さんは多分、「何を言っても、船木は出ないだろう」と思っていたと思います。だから、自分ほうから「やりたいです」って言ったら、本当にビックリしていましたね。
──リング上での発表で知ったという、選手・関係者やご友人もたくさんいると思うんですけど、反応はありましたか?
船木 いや……ないですね。冗談だと思われているんじゃないですか(笑)。
──柴田選手にはいつお伝えしたんですか?
船木 柴田にはちょうど1ヵ月くらい前に話をして、「なんか、関係者の人たち、オレに試合してほしいって雰囲気あるよね」って言ったら、「そうですね。自分もそう思います」と。それで自分は「やるときゃやるよ」って答えたら、柴田は「…………はい」って言ったんですけど、ひょっとしたらその時にはもう察していたと思いますね。で、谷川さんに話をした次の日に柴田と会って、「実は、谷川さんにお願いしたんだ」と言ったら、「そうですか……そうだと思いました」と。やっぱり毎日一緒に練習していますから、“コーチ”から“選手”という形に意識が変わっていくのを、アイツが一番、よく感じていたと思います。


「船木の試合、良かった」って思ってもらえるような試合をしたい

──船木選手の最後の試合となった7年前の『コロシアム2000』(2000年5月26日/東京ドーム)でのヒクソン・グレイシー戦。その試合の直後に引退を表明したわけですけど、船木選手が前言撤回するというのはよほどのことだと思うんです。
船木 そうですね。
──今回、復帰の決断をする上で、何が一番の障害になりましたか?
船木 ……やっぱり、あの日、泣いてくれたファン。あとは自分が引退して「ほっとした」と言ってくれた家族。特に、東京ドームで、自分がヒクソン・グレイシーに負けた姿を見て、その後に「引退」という声を聞かされて、絶望に落ちて泣いてくれたファン。その人たちのことを考えると、物凄く申し訳ない気持ちです……。ただ、試合をするって決めました。「良かった。船木の試合、良かった」って思ってもらえるような試合をしたいです。だから、そういう意味では、自分、今までファンの人たちを物凄く無視して生きてきたんですよ。でも、今回の復帰に際しては、もし、もう一度、応援してくれる人がいるならば、その人たちともう一回、一緒に歳を取っていきたいなと思います。
──あの東京ドームにいたファンたちは応援してくれると思いますけどね。
船木 そうだったら心強いですね。そうであれば鬼に金棒ですよ。何の迷いもありません。とにかく1回、試合を見てもらえたらと思います。(後編に続く)■

2007年大晦日、『Dynamite!! 2007』での復帰を決意した船木誠勝

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7・16HERO'S横浜アリーナ大会で現役復帰を発表

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桜庭和志、田村潔司の活躍を見て「なんか悔しかった」と語る
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師弟関係にある柴田勝頼はかねてから師匠・船木について「現役選手を相手にしても今もめちゃくちゃ強いですよ」と語っていた
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船木は『コロシアム2000』(2000年5月26日/東京ドーム)で引退を発表。船木ファンはその日、涙にくれたが、今回の復帰決意に際し船木は「もし、もう一度、応援してくれる人がいるならば、その人たちともう一回、一緒に歳を取っていきたい」とコメント

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